”文章”

たまになぜだか、無性に何かを書きたくなる。もしくは本を読み耽りたくなる。

仕事で疲れた時、家で些細な喧嘩をした時、将来が不安な時、何かを決意した時。

さまざまな生活の場面で心のうちを表に出したくなるのだ。

それは”表現”かもしれないし、ただの”愚痴”かもしれない。

まぁ愚痴だろうが何だろうが感情を創作物として表に出すこと自体が表現と言えるのかもだけど。

”表現”というと、書くことだけではない。音楽や絵画、映像、ダンスなど、この世には感情を表現する方法がいくらでも存在する。

私は音楽が大好きだ。幼少期から音楽に触れて、大学ではバンドを組み、大学卒業後はバンドマンになると息巻いてフリーターとしてバンド活動をしていた。今でさえバンドマンからサラリーマンへと転身したのちも密かに趣味でオリジナル楽曲を作っていたりする。

音楽で自分の感情を表現することは可能だ。だが、”誰かに聞かせる”音楽を作るとなると話は別になる。

感情のままに音楽を作っても、あとでチェックをすると「ここはこのコードの方がカッコいいかな」とか「ここの歌詞はこっちの方がキャッチーで耳に残りやすいかな」とか、誰かに自分の音楽を好きになってもらうことに感性や考え方をシフトしてしまう。

上記は文章を書くときでも同じことが言えるが、私にとって文章は音楽ほど周りを気にする必要なく自由に表現できる場として認識をしている。

恐らく文章は他人の感性(カッコいい、可愛いの基準)ではなく、あくまでも内容物の良し悪しのみで評価をされるからである。と、今パッと思いつきました。

あ。やっぱ、タイトルのキャッチーさや、文体のかっこよさや読みやすさ、好みもあるとは思うので、さっきのは忘れてください。

というのも素直に書くことができるのもストレートに思考を表に出せる”文章”ならではの強みではないだろうか。

私が文章を書くことに興味を持ち始めた時期はいくつかある。前職ではライターという仕事をしていたが、その時は職場環境が地獄すぎて自分がパソコンで打つ文字を見るだけでも目眩がした。

ライターを辞めてしばらく別の職種でサラリーマン生活をしていた頃、ふと本屋に寄って目を引いた本がある。『さみしい夜にはペンを持て(古賀史健著)』である。

装丁がとても綺麗で、コンビニの雑誌コーナーでウロウロしながらジャンプを見るふりして隣のエロ本を横目で見る中学生の如く、その本の前でソワソワしていた。その後普通に手に取って買った。

この本のあらすじは、中学生のタコジローが公園で出会ったヤドカリおじさんに”日記を書く”ことについて教わるお話だ。

ここでは文章を書くことで自分と向き合い自分を好きになっていく過程を描いている。

私はこの本を2時間くらいで一気に読んだ。

人が文章を書く意味や文章を書くことで得られること、文章の魅力を容赦なく突きつけられて、ライター時代でも楽しかった時期があったことを思い出させられた。

読了した直後は胸がいっぱいになり、ベッドで仰向けのまま「はぁーーーー」っと息を10秒ほど吐いて心のざわめきを落ち着かせた。

目を閉じて、ライター職の時代を思い出す。あの時は文字を書くことに集中して、自分の気持ちをミリ単位も出すことはできなかったけれど、こういったブログでなら思いっきり自分の気持ちを乗せることができるんじゃないか。

我慢なんて必要ない。自分が考えたこと、思うこと、疑問なこと、憤ること、誰かに話したいこと。

仕事や生活に潜む様々な想いを、ありのまま自由に残したい。

それも面白おかしくユーモアに、楽しく、愉快に。

仮にそれを読む人がいたとして、その人の生活の、その人の頭の中の、ほんの片隅にある何かを、動かすことができるかもしれない。

そんなことができたら。そんな生活ができたら、さぞ僕は人生を充実させることができるだろう。

恐らく僕は、今日からこの先文章を書くことをやめないと思う。

これからずっと残し続けるんだと思う。

だからこのブログに辿り着いた皆様も、ぜひこれから一人のサラリーマン男の頭の中を覗きながら、面白おかしく自分なり考えたり、その考えを照らし合わせたりして楽しんでくださいね。

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