私の人生は、おそらく長くはならない。
病気であるとか、そういうのではない。
何となくそう感じているのだ。
だからこそ、私は私の思想や思いを残しておきたい。
松本人志の書籍のようなタイトルだが、ぜひ最後まで書き残しておきたい。
私の人生は幸せにはならない。
おそらく不幸のまま終えることだろう。
だから私は逝く時ぐらいは笑っていたいのだ。
なぜそう思うのか。赤裸々に綴るのは恥ずかしいが、なるべく書き残す。
私には同居人がいる。いわゆる婚約者だ。
その婚約者は私より収入があり、私はいつも満足な思いをさせてやれていない。
極度の潔癖症な彼女を癒してやることも、価値観を認め合う行動が必要なことも、贈り物で喜んでもらうこともできていない。
私は彼女の考えを理解できていない。
食に対する執着とか、些細なことで不機嫌になることとか、不安症な部分とか。
いや、もちろん理屈はわかる。ただ、納得がいかないのだ。
私も子供の頃からマイルールに縛られすぎて生活ができない状況が続いたが、その原因や対処法を自分なりに考えて行動して、今では症状が全くないまでになっている。
私は彼女にもそうしてもらいたいのだ。誤解を恐れずにいうと、もっと人間としての成長をしてもらいたいのだ。
だが、彼女はこちらの意見に対して凄まじい拒絶反応を起こす。自分の考えを一度も改めようとしたことがない。それでいつも言い合い。口もしばらく聞いていない。
そんな彼女が私と別れない理由はわからない。おそらく彼女自身も私以外の誰にも相手にされないと感じているのだろう。
私が彼女を見限らない理由は、曲がりなりにも彼女を幸せにすると約束した以上最後まで頑張ってみたいと思っているからだ。
故に私は最後まで不幸のまま死んでいくことが決まっている。
私は職場であまりいい印象を抱かれていない。というより相手にされていない。
まぁ、ある特定の人に嫌われているだけなのだが。
その人はその日の機嫌で態度が変わる。私とシフトが一緒の時はいつも機嫌が悪いので、おそらくその日の気分ではなく私がいることが気に食わないのだろうと推測される。
挨拶をしてもそっけなく、コミュニケーションを取ろうとしても無視される。
だが、その人は長く同じ職場で勤務しているのでそのお店ではある程度の権限があるのだ。(本当は誰でも威張る権利を持ち合わせていないというのに)
いわゆるお局というものだ。
職場では気を遣い、家でも居場所がない。私はどこにいても心休まる時間がないのだ。
だがそれでいい。それでしか生きることができない。
もがけ。苦しめ。戦え。見抜け。やってのけろ。
それがきっと残りわずかの私がやるべきことだ。

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