哲学は数学を使わない科学だって話

ドイツの理論物理学者アルベルト・アインシュタイン。彼は相対性理論や光量子仮説など数々の革命的理論を世に出した天才であるが、彼の有名な言葉に「宗教なき科学は不具であり、科学なき宗教は盲目である」というものがある。

いわゆる科学宇宙的宗教哲学は、相互補完し合う必要があるとしている内容だ。

哲学を捨て去った世の中では、人の命を物質としてしか捉えられないから武力兵器が作られる。一方科学を信頼しなければ、真実から目を背け自分の都合のいい思想だけを信じて他者との対立を生むきっかけになる。

人類の発展には科学と哲学が相互的に保管しあって高め合う必要があるのだ。

そもそも「科学」は古代の自然哲学から生まれている。世界の「なぜ」や「本当はどうなのか」という本質的な問いに対して論理を組み立て言論を用いて追及するのが哲学だが、昔は世界の法則やあり方を神話を用いて考えられていた。


しかし、古代ギリシャの哲学者タレスが「万物の起源は、水である」と、神話ではなく自然要素から物事を合理的に解明しようとしたことから自然哲学(科学的思考)が始まった。
そして科学は学問分野として独立をし、実験、観測、数式を用いて世界の法則を追求する学問となった。

恐らく多くの人が「哲学」と聞くと、「思想」という意味合いとごちゃ混ぜになって、「科学」と相反するように思えるだろうが、実はそうではない。


哲学はどこまでも論理的、合理的に思考していく分野であるし、科学も(宇宙や生命の始まりなど)限界まで行けばその先は自然と哲学的思考を用いなければならなくなる。

ちなみに私は数学が苦手だ。単純な計算にも時間がかかる。ただ哲学的に思考をするのはとても好きだ。生命とは、世界とは、宇宙とは、始まりとは、終わりとは。まぁ子供の頃に誰もが一度考えることを今でも続けているだけのことだが。


キャンプで一人コーヒーを飲みながら星を見ている時に、世界や宇宙について延々と思案に耽る。この時間がなんとも心地良い。


人間とは何か、宇宙とは、生命とは、これらを追い求めるのであれば、争いなんてしている場合ではないはずだ。国を問わず優秀な人たちがこの世界を研究すること以上に有益なことはないはずだ。人間の幸福を追求すること以上に意味のあることはないはずだ。

だが今は各国が「自分の国だけが有能だ」という驕りに侵され、科学を自国の利益にのみ使用し、場合によっては生命をも奪い、哲学を自己肯定のためだけに使い、苦に怯え快楽に溺れる。

これ以上に人類の発展を妨げる愚かな行為はない。とさえ思える。

私は考える。この宇宙の仕組みを。私は知りたい。生命の意味を。私は味わいたい。この人生の旅路を。

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